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教育・仕事・生活

「学び直し中学歴史」安土桃山時代

本能寺の変織田信長を自害に追いやった明智光秀を討った豊臣秀吉。その後朝廷から関白に任命され、全国統一を果たした。秀吉はその勢力を東アジア一帯に広げようと、明への出兵を描いたが、朝鮮での2度に渡る敗戦でその試みは頓挫する。朝鮮での敗北は、豊臣氏政権が弱体する原因の一つとなった。

 

豊臣秀吉による天下統一

戦国大名の中で力を伸ばした尾張(愛知県)の織田信長は、京都に上り、足利義昭を将軍に立てて全国統一を目指した。しかし、義昭と対立するようになり、義昭を京都から追放。室町幕府は滅亡した。その後、信長は家臣である明智光秀の反逆により、本能寺で自害した(本能寺の変

 

毛利攻めの最中に本能寺の変を知った豊臣秀吉は、和睦を整えて京都にとって返し、明智光秀を討った。

 

1583年、秀吉は全国統一の拠点として大阪城を築き始めた。その後、朝廷から関白に任命され、朝廷の権威を後ろ盾に全国の大名に戦いの中止を求めた。

 

これに従わなかった九州の島津氏、関東の北条氏、奥州(東北地方)を平定して全国統一を果たした。

 

豊臣秀吉の政治

・統一金貨、銀貨の発行

佐渡金山(新潟県)、石見銀山島根県)、生野銀山兵庫県)の開発を行い、統一的な金貨や銀貨を発行

太閤検地

全国の田畑の面積を測り、土地の良し悪し、予想生産量、耕作している農民の名前を検地帳に記録。ものさしや枡、土地面積の表し方を統一した。生産力は石高(1石=100枡、約150kg)で表されるようになった。公家や寺社などの荘園領主や有力農民が持っていた土地の権利は否定され、実際に耕作している農民の田畑の所有権が認められた

 

刀狩令(1588年)

農民や寺院から武器を取り上げ、一揆を起こすことを防ぎ、農業に専念させた。

 

バテレン追放令(1587年)

長崎の土地がキリシタン大名からイエズス会に寄進されていることを知り、宣教師の国外追放を命じ、キリスト教を禁止した。イエズス会による布教が、ポルトガルやスペインの植民地政策と密接に結びついていることを危険とみたことも影響している。

 

朝鮮出兵の失敗と豊臣氏の弱体化

全国を統一した秀吉は、国力の衰えつつあった明に変わり、日本を東アジアの中心とする新しい国際秩序を作ろうとした。

 

〈1592年:文禄の役

台湾やフィリピンに服従を求め、明に出兵しようとした。1592年、明への案内役を断った朝鮮に15万の大軍を送った。

 

秀吉軍は一時は首都・漢城(現在のソウル)を占領し、朝鮮北部まで進撃したが、李舜臣(りしゅんしん)率いる朝鮮水軍に破れ、明の援軍も参戦して戦況が不利になると、明との講和をはかり、兵の一部を引き上げた。

 

〈1597年:慶長の役

明との講和がまとまらず、秀吉軍は再び出兵。しかし、前回以上の苦戦となり、翌年秀吉が病死したので全軍を引き上げた。出兵の失敗は豊臣氏の政権が弱体化する原因の一つとなった。