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教育・仕事・生活

「学び直し中学歴史」大正時代

第一次世界大戦

第一次世界大戦のはじまり〉

日露戦争に破れたロシアは、満州・朝鮮への南下をあきらめ、ヨーロッパ方面に関心を向けるようになった。

 

一方、ドイツはフランスとの戦いを制し、オーストリアイタリア三国同盟を結び、地中海方面に力を伸ばそうとした。

 

これに対しイギリスは、ロシアフランス三国協商を結び、ドイツの動きを封じ込めようとした。

 

1914年:サラエボ事件

オーストリアの皇太子夫妻がセルビアの一青年によって暗殺される事件。この事件によってセルビアオーストリアの間に戦争が起こると、三国協商三国同盟に加わる各国も参戦し、ヨーロッパを主な戦場とする第一次世界大戦が始まった。

 

日本は、日英同盟に基づいて三国協商側に立って参戦。ドイツの租借地だった山東半島の青島や、ドイツ領の太平洋上の島々を占領。さらに、協商側の要請に従って地中海に小艦隊を派遣し、商船などの警護にあたった。

 

〈二十一か条の要求〉

日本は、山東省のドイツ権益を日本が引き継ぐことや、関東州・南南洲鉄道(満鉄)の租借期限の延長などを中華民国政府に要求。中国に強硬な姿勢でのぞみ、中国では反日運動がおこり、イギリスとアメリカは日本が中国で優越的な地位を得ようとしているとして非難。日本国内でも批判がおこった。

 

ロシア革命とシベリア出兵〉

ロシアでは、相次ぐ敗戦による生活物資の不足に民衆の不満が爆発し、1917年、首都ペトログラードレーニンが率いるソビエト政権が成立(ロシア革命ロシアの革命政府はドイツと講和を結び戦争を中止。革命に反対する勢力との内戦に突入した。

 

ソビエトは世界初の共産主義の実現を目指す政府で、貧富の差を生むとして自由な生産活動を禁止。土地や農場、銀行、鉱山、鉄道などほとんどすべての企業を国有化して国が管理するようになった。

 

ロシア革命による共産主義国家の成立の影響を警戒した欧米諸国は、シベリアに兵を送り、革命政府に圧力を加えた。日本も1918年(大正8年)アメリカなどとともにシベリア出兵を行い、共産系軍と戦ったが、成果がないまま撤退した。

 

第一次世界大戦終結ベルサイユ条約

ドイツ潜水艦による攻撃で、自国民に被害が及んだアメリカがドイツに宣戦。1918年(大正7年)、大戦は三国協商側の勝利で終わったが、戦争で国力を使い果たしたヨーロッパ諸国の国際的地位は低下し、かわってアメリカの発言力が大きくなった。

 

1919年:パリ講和会議ベルサイユ条約

・ドイツはすべての植民地と自国領土の一部を失い、軍備を厳しく制限され、多額の賠償金の支払いを命じられた。

アメリカ大統領のウィルソンが国際平和を守る機関として国際連盟をつくる事を提案(1920年に発足したが、アメリカは議会の承認を得られず不参加)。

ウィルソンが民族自決の原則を提唱。各民族が自主的に帰属や政治を決定し、他の民族・国家の干渉を認めないという原則。この原則により、東欧や北欧で多くの国が独立した。

 

1919年(大正8年)五・四運動

パリ講和会議後、中国の山東省の旧ドイツ権益が日本に引き継がれることを抗議する活動が北京で展開され、やがて全国的に広がった。

 

1919年(大正8年)三・一運動

朝鮮で日本からの独立を求めた大規模な集会やデモ。ソウルでおこり、各地に広がっていった。

 

大正デモクラシー

〈護憲運動〉

藩閥への批判や政党による議会政治を求める運動尾崎行雄犬養毅を中心に展開され、藩閥を背後に持つ桂太郎内閣は退陣に追い込まれた。

 

政治学者の吉野作造民本主義を唱え、選挙で多数を占めた政党が内閣を組織する政党政治が大切であると主張した。

 

世界的な民主主義の風潮を受け、政党政治を目指す方向に向かう風潮の高まりを大正デモクラシーという。

 

本格的な政党内閣が組織されたのは立憲政友会原敬内閣だが、原敬暗殺によって政党内閣はすぐに倒れ、その後非政党内閣が続いた。

 

1924年(大正13年)、護憲をかかげた3政党が総選挙で多数を占めると、衆議院の第一党になった憲政会の加藤高明が政党内閣をつくり、その後も政党内閣が続いた。

 

加藤内閣は1925年(大正14年)に普通選挙法を成立させ、納税額にかかわらず25歳以上の男子全員に選挙権を与えた。

 

ワシントン会議

1924年(大正10年)、アメリカの呼びかけでワシントン会議が開かれ、日本など9カ国は太平洋をめぐる海軍の軍縮や中国問題について話し合った。

・海軍の主力艦の割合が5(米):5(英):3(日)と決められた。

・日本は山東省の権益を中国に返す

日英同盟解消⇒日米英仏による四カ国条約

ロシア革命による日露協商の消滅