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「学び直し中学世界史」朝鮮半島史

高句麗百済新羅

4世紀末(古墳時代)、朝鮮半島では分立していた小国の統一が進み、北部に高句麗、南部には新羅百済があり、勢力を争っていた。また、その南には任那加羅伽耶)とよばれる地域があり、複数の国が存在していた。高句麗は中国側に領土を広げると共に、南部の新羅百済にも軍を進めた。

 

鉄の資源を求めて、半島南部と交流のあった日本は、百済からの求めもあり、朝鮮に出兵した。こうした情勢から、日本は任那に対して影響力を持つようになった。朝廷が中国の南朝朝貢したのは、高句麗に対抗して、朝鮮で日本の影響力を確保するためだった。

 

6世紀半ばに任那の地域は新羅百済の勢力下に置かれ、朝鮮半島での日本の影響力は後退した。

 

663年(飛鳥時代):白村江の戦い

唐と結んだ新羅が優勢となり、高句麗百済軍を破った。日本にとって、親交のあった百済を失うことは、朝鮮半島での立場を失うだけでなく、日本の安全も脅かすできごとであるため、百済からの依頼もあり大軍を送った。しかし、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に破れ撤退。その後百済は完全に滅び、朝鮮半島新羅によって統一された。

 

新羅(676年に統一)

③高麗(936年新羅を滅ぼし統一)

※元に服属(13世紀)

④朝鮮(李氏朝鮮)(1392年高麗が滅び朝鮮国がおこる)

14世紀末(室町時代)に、朝鮮半島では李成桂(りせいけい)が高麗を倒し、朝鮮国(李氏朝鮮)を建国した。幕府は朝鮮からの求めに応じ、大名に倭寇の取締を命じた。これによって朝鮮との正式な国交が結ばれ、貿易もさかんになった。

 

1592年:文禄の役

全国を統一した豊臣秀吉は明に代わり、日本を東アジアの中心とする新しい国際秩序を作ろうとして明に出兵した。明への案内役を断った朝鮮に対し、秀吉は15万あまりの大軍を送った。秀吉の軍勢は首都・漢城(現在のソウル)を占領し、朝鮮北部まで進撃したが、李舜臣(りしゅんしん)率いる朝鮮水軍に破れ、明の援軍も参戦して戦局が不利になると、明との講和をはかり兵の一部を引き上げた。

 

1597年:慶長の役

明との講和がまとまらず秀吉軍は再び朝鮮に出兵。秀吉軍は前回以上に苦戦し、翌年秀吉が病死したこともあり、全軍が引き上げた。

 

1607年:朝鮮通信使

秀吉の朝鮮出兵後、朝鮮と日本の関係は途絶えていたが、徳川家康は国交回復をはかり、朝鮮は1607年に朝鮮通信使を日本に派遣した。その後、対馬藩の大名・宋氏による朝鮮との貿易も再開された。

 

1868年(明治元年):日本との外交関係を拒否

明治新政府が朝鮮に施設を派遣した際、朝鮮側は国書の文言が従来と異なることを理由として、日本と外交関係を結ぶことを拒否。国書には、天皇をさす「皇」の文字が使われていたが、中国や朝鮮では、中国の皇帝以外には使ってはいけない文字とされていた。新政府はその後も朝鮮に開国を求める交渉をしたが、朝鮮は態度を変えなかった。そのため、日本では武力を背景に開国を迫る征韓論が唱えられた

 

1875年(明治8年):江華島事件

朝鮮沿岸で無断で測量していた日本の軍艦が砲撃された事をきっかけに戦闘になった。

1876年(明治9年):日朝修好条規

江華島事件をきっかけに日本は朝鮮と交渉。日朝修好条規を結んで開国させた。朝鮮の開港地で日本人が罪を犯した場合は、日本の領事が日本の法律で裁判を行うなど、朝鮮にとって不平等な条約だった。

 

1882年(明治15年):壬午事変

1884年(明治17年):甲申事変

朝鮮では、日本にならって近代化を進めようとする独立党と、清との関係を維持しようとする事大党が対立していた。そうした中、改革に反発する軍人の暴動(壬午事変)と独立党の金玉均らのクーデター(甲申事変)が起こったが、いずれも清の軍隊に鎮圧された。こうして、朝鮮は清の勢力下に置かれた。

 

1894年(明治27年):甲午農民戦争日清戦争

政府や外国勢力に反対する大規模な農民の暴動。清は朝鮮の求めに応じて「属国を保護する」という理由で出兵。これを認めない日本も出兵し、清と日本軍は衝突日清戦争が始まった。

 

1895年(明治28年):下関条約

日本軍が勝利後に下関講和会議が開かれ、結ばれた下関条約には、朝鮮が清の属国ではなく独立国であると明記された。

 

大韓帝国(1897年に国名を大韓帝国に改める)

1904年(明治37年):日露戦争

日露戦争が始まると、日本は武力を背景に日韓議定書を結んだ。これは韓国の領土を他国(ロシア)から守るために、日本軍が韓国に展開することを認めるという内容だった。日露戦争中には、アメリカのフィリピン領有と、日本の韓国保護国化を互いに支持する内容の合意が日米間で成立していた。

 

1905年(明治38年):ポーツマス条約

日露戦争で日本勝利後に結ばれたポーツマス条約で、日本に韓国での優越的な立場が認められた。

 

⑥日本領

1910年:韓国併合

日韓協約に従って、日本が韓国の外交権を握ることになり、韓国統監府を置き、初代統監として伊藤博文が赴任した。やがて、統監の権限は内政にまで及ぶようになり、韓国からの抵抗運動もあったが鎮圧された。1909年には、伊藤博文満州で韓国人の安重根に暗殺される事件がおこった。

 

1910年、日本政府は韓国併合に踏み切り、統治のための朝鮮総督府を置いた。朝鮮統治では、併合の一環として近代化が進められたが、米の作付けが強いられたり、日本語教育など同化政策が行われたので、朝鮮の人々の日本への反感は強まった。

 

1919年(大正8年):三・一独立運動

日本からの独立を求める大規模な集会やデモがソウルでおこり、各地に広がっていた。朝鮮総督府は軍隊を出動させて鎮圧。しかし、これ以降、武力中心の統治からよりおだやかな統治に変わっていった。

 

第二次世界大戦末期

朝鮮にも徴兵や徴用が適用され、人々に苦しみを強いることになった。日本の鉱山や工場などに徴用され、きびしい労働を強いられる朝鮮人もいた。

 

⑦米ソ占領→大韓民国北朝鮮民主主義人民共和国

戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境に、北はソ連、南はアメリカに占領され、やがて南に大韓民国(韓国)、北に朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)が成立した。

 

1950年(昭和25年):朝鮮戦争

ソ連の支援を受けた北朝鮮は、朝鮮統一をはかって韓国に侵攻。アメリカ軍を中心とする国連軍は韓国を支援して反撃。これに対し、中国が義勇軍を送って北朝鮮を支援するなど戦いは長期化し、1953年に休戦となった。