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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」7世紀

①西・中央アジア

ウマイヤ朝(661〜750)

イスラム教の誕生〉

6世紀後半になると、ササン朝ビザンツ帝国が争いを繰り返したため、東西を結ぶ「オアシスの道」は両国の国境で途絶え、「オアシスの道」や「海の道」によって運ばれた各種商品は、アラビア半島西部を経由するようになり、メッカの大商人は国際的な中継貿易を独占して大きな利益をあげていた。

 

メッカに生まれたクライシュ族の商人ムハンマドは、610年頃、唯一神アッラーのことばを授けられた預言者であると自覚し、さまざまな偶像を崇拝する多神教にかわって厳格な一神教であるイスラーム教をとなえた。しかし、富の独占を批判するムハンマドはメッカの大商人の迫害をうけ、622年に少数の信者を率いてメディナに移住し、ここにイスラーム教徒(ムスリム)の共同体(ウンマ)を建設した。この移住をヒジュラ(聖遷)という。

 

630年、ムハンマドは無血のうちにメッカを征服し、多神教の神殿であったカーバイスラーム教の聖殿に定めた。その後アラブの諸部族はつぎつぎとムハンマド支配下に入り、アラビア半島のゆるやかな統一が実現した。

 

イスラーム世界の成立〉

ムハンマドの死後、イスラーム教徒の指導者としてアブー=バクルカリフ(後継者)に選出した。アラブ人はカリフの指導のもとに大規模な征服活動(ジハード〈聖戦〉)を開始し、東方ではササン朝を滅ぼし、西方ではシリアとエジプトをビザンツ帝国から奪い、多くのアラブ人が家族をともなって征服地に移住した。しかし、まもなくカリフ権をめぐってイスラーム教徒間に対立がおこり、第4代カリフのアリーが暗殺されると、彼と敵対していたシリア総督のムアーウィヤは、661年ダマスクスウマイヤ朝を開いた。アブー=バクルからアリーまでの4代のカリフを一般に正統カリフという

 

②ヨーロッパ

ビザンツ帝国東ローマ帝国)(395〜1453)

西ゴート王国(418〜711)

フランク王国(481〜843)

 

③インド

※ヴァルダナ朝(606〜7世紀後半)

グプタ朝が、中央アジアのエフタルの進出や地方勢力の台頭によって6世紀半ばに滅亡した後、ハルシャ王ヴァルダナ朝をおこして北インドの大半を支配したが、その死後、急速に衰退した。

 

④中国

※隋(587〜618)

※唐(618〜907)

〈隋の滅亡〉

文帝の子燿帝(ようだい)のときに完成した大運河は、南北朝時代に開発のすすんだ江南を華北と結ぶつける、中国史上はじめての南北の交通幹線だった。しかし、これらの大土木事業や周辺諸国への度重なる遠征に徴発された農民の困窮ははなはだしく、高句麗遠征の失敗をきっかけに各地で反乱がおこり、隋は統一後30年たらずで滅んだ。

 

〈唐の隆盛〉

隋末の反乱のなかで挙兵した軍閥李淵(りえん)は、618年に隋を倒して唐をたて、長安を都とした。2代目の太宗は中国を統一するとともに東突厥の主力を服属させ、つづく高宗は、東は百済高句麗を破り、西は西域のオアシス都市を領有して勢力圏を広げた。

 

⑤日本(飛鳥時代

厩戸王聖徳太子)、十七条憲法制定(604)

小野妹子を随に派遣(607)

遣唐使派遣始まる(630)

大化の改新(645)

中大兄皇子中臣鎌足らの協力をえて蘇我氏をたおし、公地公民を原則とする改革をはじめる。

白村江の戦い(663)

百済からの救援で大軍を送ったが、唐・新羅連合軍に敗北

壬申の乱(672)

天智天皇の死後、皇位継承をめぐって大友皇子天皇の子)と、大海人皇子天皇の弟)の間におこった内乱。大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位。