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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」8〜9世紀

①ヨーロッパ

フランク王国(メロヴィング朝)(481〜751)

※ビサンツ帝国(610〜1453)

フランク王国(カロリング朝)(751〜843)

メロヴィング朝からカロリング朝へ〉

フランク王国は6世紀半ばに全ガリアを統一したが、8世紀にはメロヴィング朝の権力は衰え、アラビア半島から急速に広がって地中海世界に侵入したイスラーム勢力がフランク王国にも迫りつつあった。

 

ウマイヤ朝時代、アラブ人のイスラーム勢力が北アフリカを西進し、イベリア半島に渡って西ゴート王国を滅ぼし(711年)、さらにピレネー山脈をこえてガリアに侵攻しようとした。メロヴィング朝の宮宰カール=マルテルは、732年トゥール・ポワティエ間の戦いイスラーム軍を撃退し、西方キリスト教世界を外部勢力からまもった。その子ピピンは、751年メロヴィング朝を廃して王位につき、カロリング朝を開いた。

 

教皇領の始まり〉

726年、ビザンツ皇帝レオン3世は、聖像禁止令を発布。ゲルマン人の布教に聖像を必要としたローマ教会はこれに反発し、東西の両教会は対立と分裂をいっそう強めた。

ローマ教会はビザンツ皇帝に対抗できる政治勢力として、フランク王国に接近をはかり、カール=マルテルの子、ピピンがフランク王位を継承することを認め、返礼としてピピンはイタリアのランゴバルド王国を攻め、奪ったラヴェンナ地方を教皇に寄進した(ピピンの寄進)。これが教皇領のはじまり。

 

〈カールの戴冠(たいかん)〉

ピピンの子、カール大帝は西ヨーロッパの主要部分を統一し、フランク王国ビザンツ帝国にならぶ強大国となった。教皇レオ3世はカールにローマ皇帝の帝冠を与え「西ローマ帝国」の復活を宣言した。カールの戴冠は、西ヨーロッパ世界が政治的・文化的・宗教的に独立したという重要な歴史的意味をもつ。

 

フランク王国の分裂〉

カール大帝の死後内紛がおこり、843年のヴェルダン条約870年のメルセン条約により、帝国は東・西フランクとイタリアの3つに分裂した。これらはそれぞれのちのドイツ・フランス・イタリアに発展した。

 

②西・中央アジア

ウマイヤ朝(661〜750)

アッバース朝イスラーム帝国)(750〜1258)

後ウマイヤ朝(756〜1031)

ウマイヤ朝からアッバース朝へ〉

コーラン」には、すべての信者は平等であると説かれている。そのため征服地の新改宗者(マワーリー)は、ウマイヤ朝の政策を「コーラン」の教えにそむくとみなし、アラブ人の中にも、ウマイヤ朝による排他的な支配を批判するものが出てきた。このような人々は、ムハンマドの叔父の子孫であるアッバースの革命運動に協力し、これが成功して750年にアッバース朝が開かれた。第2代カリフのマンスールは、肥沃なイラン高原の中心に円形の首都バグダードを造営し、新帝国の基礎を固めた。アッバース朝が建国されると、ウマイヤ朝の一族はイベリア半島に逃れ、756年コルドバを首都とする後ウマイヤ朝をたてた。

 

③インド

※地方政権の時代

 

④ジャワ

※シャイレンドラ朝(8〜9世紀)

ジャワでは仏教国のシャイレンドラ朝がうまれた。シャイレンドラ朝のもとでは仏教寺院のボロブドゥールが建造されたが、その後ヒンドゥー勢力が強くなっていった。

 

⑤中国

※唐(618〜907)

〈唐と隣接諸国〉

8世紀半ばに東突厥を滅ぼしたウイグルは、唐代中期以降の混乱に乗じて中国を圧迫したが、9世紀にはキルギスに敗れて滅亡した。

 

チベットでは7世紀にソンツェン=ガンポ統一国家を建設した吐蕃(とばん))。インド系文字を基にチベット文字がつくられ、インド仏教とチベット民間信仰が融合したチベット仏教ラマ教が生まれた。

 

⑥朝鮮

新羅(356ごろ〜935)

渤海(698〜926)

唐が新羅と連合して百済高句麗を滅ぼした後、新羅朝鮮半島の大部分を支配した。新羅は唐の官僚制を導入したが、社会の基盤は骨品制といわれる氏族的な身分制度だった。新羅は仏教を保護し、首都の金城(慶州)を中心に仏教文化が繁栄した。

 

高句麗の滅亡後、大祚栄(だいそえい)が中国東北地方に建国した渤海は、唐の官僚制や、都城プランを熱心に取り入れて日本とも通交し、8〜9世紀に栄えた。

 

⑦日本

飛鳥時代

大宝律令制定(701)

遣唐使派遣、日本の国号を名のる(702)

奈良時代

平城京遷都(710)

平安時代

桓武天皇平安京遷都(794)

坂上田村麻呂征夷大将軍として、蝦夷征伐(797)

最澄天台宗を開く(805)

空海真言宗を開く(806)

遣唐使の停止(894)