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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」13世紀

①ヨーロッパ

〈十字軍とその影響〉

第四回十字軍ヴェネツィア商人の要求にせまられて聖地回復の目的をすて、その商業上のライバルであるコンスタンティノープルを占領してラテン王国をたてた。その後も第七回まで十字軍はおこされたが、聖地回復の目的はついに達成されなかった

 

十字軍の参加者の動機はそれぞれ複雑にからみあったもので、教皇はこれを機会に東西両教会を統一しようと企て、諸侯は領地や戦利品を望み、イタリア諸都市は商業的利益を拡大しようとした。

 

あいつぐ遠征の失敗により、教皇の権威は揺らぎ始め、逆に遠征を指揮した国王の権威は高まった。また、十字軍の輸送によりイタリアの諸都市は大いに繁栄し、地中海貿易による東方との交易が再び盛んになりだした。

 

②東アジア・西アジア中央アジア

モンゴル帝国の形成〉

12世紀初めに遼(契丹が滅びると、モンゴル高原の諸部族の間にで統合の動きが強まった。高原東北部のモンゴル部族の中で勢力を伸ばしたテムジンは1206年のクリルタイモンゴル語で集会)でハン(君主の称号)位(チンギス=ハン)につき、モンゴル系・トルコ系の諸部族を統一して大モンゴル帝国を形成した。

 

・インド

その後、チンギス=ハンは騎馬軍を率いて、草原・オアシス地帯に支配を広げた。モンゴル軍は西遼を奪ったナイマンおよび西トルキスタン・イラン方面新興国家ホラズム=シャー朝を倒して西北インドに侵入し、また西夏を滅ぼした。

 

・中国

チンギス=ハンの死後即位したオゴタイを滅ぼし華北を領有するとともに、モンゴル高原カラコルムに都を建設した。

 

・東ヨーロッパ

ついでバトゥの率いる軍は西北ユーラシアの草原を制圧して東欧に侵入し、ワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド連合軍を破ってヨーロッパ世界を脅かした。

 

西アジア

西アジアではフラグバグダードを占領してアッバース朝を滅ぼした。

 

結果、13世紀半ばまでにモンゴルの支配は東は中国北部から西はロシア・イランにいたる広大な領域に広がった。この大領土のなかには、イラン・イラク方面のイル=ハン国、南ロシアのキプチャク=ハン国中央アジアチャガタイ=ハン国など、チンギス=ハンの子孫たちがおさめる地方的政権がつくられ、それらが大ハンのもとにゆるやかに連合するという形をとった。しかしそれらの諸勢力のあいだでは大ハン位をめぐる相続争いもしばしばおこった。

 

〈元の東アジア支配〉

相続争いを経て即位した第五代のフビライは、自分の勢力の強い東方に支配の重心を移し、大都(現在の北京)に都を定め、国名を中国風にと称し、南宋を滅ぼして中国全土を支配した。フビライモンゴル高原と中国を領有したほか、チベットや高麗を属国とした。さらに日本・ベトナムチャンパービルマ・ジャワにも遠征軍を送った。その遠征は強い抵抗にあって多くの場合目的を達成できなかった

 

③日本(鎌倉時代

北条時政、執権就任(1203)

承久の乱(1221)

後鳥羽上皇が全国の武士に呼びかけて幕府を討とうとしたが、北条氏の率いる幕府軍に破れ、隠岐島根県)に流された。

御成敗式目制定(1232)

執権北条泰時武家社会のおきてや裁判の基準を定めた御成敗式目が制定された。

文永の役(1274)

元の日本遠征。3万の元軍が、約900隻の軍船に乗り襲来。暴風雨により大きな被害を受け撤退。

弘安の役(1281)

元の二度目の遠征。14万の大軍で北九州に攻め寄せたが、ふたたび暴風雨によって壊滅的な損害を受け退却。