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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」14世紀〜教皇権の衰弱とモンゴル帝国の衰退〜

①ヨーロッパ

教皇権の衰退〉

十字軍の失敗から、教皇の権威が傾き始め、各国で王権がのびるとさらに衰えをみせるようになった。

 

・アナーニ事件(1303)

13世紀末に教皇になったボニファティウス8世は、教皇権の絶対性を主張し、聖職者への課税に反対してイギリス・フランス国王と争った。しかし、1303年、教皇フランス国王フィリップ4世にとらえられ、まもなく釈放されたが屈辱のうちに死んだ。

 

教皇のバビロン捕囚(1309〜1377)

教会大分裂(1378)

フィリップ4世はその後、教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移し、以降約70年間、教皇はフランス王の支配下におかれた。これを古代のバビロン補囚にたとえて教皇のバビロン補囚」という。その後、教皇がローマに戻ると、アヴィニョンにもフランスの後押しをうけて別の教皇がたち、両教皇がともに正当性を主張して対立した。これを教会大分裂大シスマ)とよぶ。

 

〈イギリス・フランスの百年戦争

百年戦争(1337〜1453)

・クレシーの戦い(1346)

・ジャックリーの乱(1358)

フランス国王は毛織物産地として重要なフランドル地方を直接支配下におこうとしたが、この地方に羊毛を輸出して利益をあげていたイギリス国王は、フランスがこの地方に勢力を伸ばすことを阻止しようとした。カペー朝が断絶してヴァロワ朝がたつと、イギリス国王エドワード3世は、母がカペー朝出身であることからフランス王位継承権を主張し、これをきっかけに両国の間に百年戦争が始まった。

 

はじめイギリス軍がクレシーの戦いでフランス騎士軍を破るなど優勢で、エドワード黒太子の活躍によりフランス南西部を奪った。フランス国内はさらに黒死病(ペスト)の流行やジャックリーの乱(農民一揆)などで荒廃し、シャルル7世のときには王国は崩壊寸前の危機にあった。

 

②西・中央アジア

モンゴル帝国の解体〉

ティムール帝国形成(1370〜1507)

14世紀に入ると、ユーラシア大陸全域に天災が続き、モンゴル支配下の各地では内紛により政権が動揺した。チャガタイ=ハン国では分裂抗争のなかからティムールが頭角をあらわし、イル=ハン国の支配していたイラン・イラクにまでいたる広大な地域に領土を広げた。キプチャク=ハン国では14世紀半ば頃から内紛によって政権の統合がゆるみ、やがてモスクワ大公国がしだいに勢力をのばした。

 

③中国

※元(1271〜1368)

※明(1368〜1644)

〈明による統一〉

・紅巾の乱(1351〜1366)

朱元璋洪武帝)が明を建国(1368)

中国でも放漫財政や内紛で元の統治がゆらいだ。紅巾の乱をはじめとして各地で反乱がおこり、反乱のなかで頭角をあらわした貧農出身の朱元璋は、儒学の素養をもつ知識人の協力を得ながら、長江下流域の穀倉地帯をおさえ、1368年に南京で皇帝の位につき洪武帝、明朝をたてた。明軍に追われた元の帝室はモンゴル高原に退き(北元)、明は南京を都として中国を統一した。

 

④朝鮮

※朝鮮(1392から1910)

李成桂、朝鮮を建国〉

元に服属していた高麗でも、親元派と反元派の対立が続いたが、倭寇を破って名声をあげた李成桂が高麗を倒して1392年に王位につき、朝鮮王国をたてて漢城(現在のソウル)に都をおいた。

 

⑤日本

鎌倉時代

鎌倉幕府滅亡(1333)

南北朝時代

後醍醐天皇建武の新政(1333)

室町時代

足利尊氏征夷大将軍となる(1338)

足利義満、幕府を京の室町に移す(1378)

足利義満南北朝を統一(1392)