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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」15世紀〜百年戦争終結とビザンツ帝国滅亡〜

①ヨーロッパ

百年戦争終結

崩壊寸前のフランス王国は、国を救えとの神の託宣を信じた農民の娘、ジャンヌ=ダルクがあらわれ、フランス軍を率いてオルレアンの包囲を破ってイギリス軍を大敗させた。

 

これよりフランスは勢いをもりかえし、カレーを除く全国土からイギリス軍を追い出して戦争はフランスの勝利に終わった。この長期の戦争のため、フランスでは諸侯・騎士が没落した。一方、シャルル7世は大商人と結んで財政を立て直し、常備軍を設置したので、以降、中央集権体制が急速に進展した。

 

〈イギリスのバラ戦争〉

戦後のイギリスではランカスター・ヨーク両家による王位継承の内乱がおこった。これをバラ戦争という。イギリスの諸侯・騎士は両派にわかれて激しくたたかったが、その結果、彼らは没落した。内乱をおさめたランカスター派ヘンリが1485年に即位し(ヘンリ7世)デューダー朝を開いた。彼は統治制度を整え、王権に反抗するものを処罰して絶対王政に道を開いた。

 

スペイン王国の成立〉

イベリア半島は8世紀初めにイスラーム教徒が西ゴート王国を滅ぼし、後ウマイヤ朝をたてた。北部のキリスト教徒は、以降約800年にわたり、国土回復運動(レコンキスタの戦いを続け、12世紀半ばまでには半島の北半分がキリスト教圏にはいった。回復された領土にはカスティリャアラゴンポルトガルの3王国がたてられたが、その後カスティリャ王女イザベルアラゴン王子フェルナンドの結婚により、両国は1497年に統合されてスペイン(イスパニア)王国が成立した。

 

オスマン帝国によるビザンツ帝国の滅亡〉

セルジューク朝期からビザンツ領内に進出していたトルコ人は、13世紀末頃アナトリア西北部にオスマン帝国の基礎を築き、やがてバルカン半島に進出してアドリアノープル(現在のエディルネ)を首都にした(1366年)。1396年、バヤジット1世ニコポリスの戦いでバルカン諸国とフランス・ドイツの連合軍を撃破したが、その後、アナトリアに進出したティムールと衝突し大敗した。

 

その後、国力を回復させたメフメト2世は、1453年コンスタンティノープルをおとしいれ、ビザンツ王国を滅ぼした。

 

②中国

※明(1368〜1644)

鄭和の南海遠征〉

・靖難(せいなん)の役(1399〜1402)

永楽帝即位(1402)

鄭和、南海遠征(1405)

北平(北京)に本拠をおいた燕王は、洪武帝の死後、位を継いだ建文帝が諸王勢力の削減をはかると、これに対抗して挙兵(靖難の役)。南京を占領して帝位についた永楽帝。彼は首都を北京に移して積極的な対外政策をとり、北方では自ら軍を率いてモンゴル高原に遠征し、南ではベトナムを一時占領した。またイスラーム教徒の宦官、鄭和に命じ、艦隊を率いてインド洋からアフリカ沿岸にまで遠征させた。艦隊は7回派遣され、南海諸国の明朝に対する朝貢を勧誘した。

 

〈明とモンゴルとの関係〉

・土木の変(1449)

モンゴル諸部族は明との交易を求めていたが、朝貢制度による回数や規模の制限を不満としてしばしば中国に侵入した。15世紀半ばに西北モンゴルオイラトがエセン=ハンのもとで強大となり、明の正統帝土木堡(どぼくほ)でとらえ(土木の変)、北京を包囲した。この頃から明は対外的に守勢に転じ、北方の長城を改修してモンゴルの侵入に備えた。

 

③日本

室町時代

勘合貿易日明貿易)開始(1404)

琉球王国成立(1429)

中山王によって統一された琉球は、明との朝貢貿易で得た物資をもちいて東シナ海南シナ海を結ぶ貿易の要となった。

〈戦国時代〉

応仁の乱(1467〜1477)

将軍家や管領家のあとつぎをめぐる対立。