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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」19世紀後半〜20世紀初頭

 

アメリ

南北戦争とその結果〉

第七代のジャクソン大統領の時代には西部開拓が推進された。ジャクソン大統領は南部をおもな基盤とする民主党の結成を促進した。南部諸州が、連邦議会における優位を維持するため、西部に奴隷制を拡大しようとしたのに対し、北部諸州は対抗して自由州を拡大しようとしたため、南部と北部の対立は激化した。

 

奴隷制反対をとなえる共和党が結成されると、奴隷制をめぐる南北の対立は決定的になった。1860年の大統領選挙では、共和党リンカンが当選した。リンカンは連邦の統一維持を優先させたが、南部諸州は連邦からの分離を決定し、1861年初め、南部はアメリカ連合国をつくってジェファソン=デヴィスを大統領に選び、南北戦争が始まった。

 

1861年1月、リンカンは南部反乱地域の奴隷解放宣言を出し、内外世論の支持を集め始め、同年のゲティスバーグの戦いに勝利をおさめて以降、北軍が優勢となり、合衆国は再統一された。

 

アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)〉

19世紀末に世界第一位の工業国となったアメリカ合衆国では、巨大企業の登場によって自由競争が交代する一方、東欧・南欧からの移民の大量流入による都市の貧困問題などが表面化していた。西部でフロンティア(荒野と過疎地の境界地域の人口過疎地域)が消滅するにつれ、帝国主義政策を求める声も高まっていった。共和党のマッキンリー大統領は、キューバ独立運動に乗じて、1898年アメリカ=スペイン戦争(米西戦争をおこし、勝利した。その結果、フィリピンプエルトリコなど、太平洋・カリブ海のスペイン領植民地を獲得するとともに、キューバに対しては財政や外交を制限する「プラット条項」を押し付け、保護国化した。

 

②ヨーロッパ

プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)〉

ナポレオン三世は、英仏通商条約を結んで自由貿易の原則のもとに国内産業を育成する一方、国民の人気を維持するために、クリミア戦争をはじめ、アロー戦争イタリア統一戦争インドシナ出兵などの積極的な対外政策を展開した。彼がメキシコ遠征に失敗し、プロイセン=フランス(普仏)戦争(ドイツ=フランス戦争)に敗れると、パリで蜂起がおこり、帝政は崩壊し、臨時国防政府が成立した(1870年9月)。

 

フランスはドイツへの賠償金を予定より早く完済したが、国内では将来の政体をめぐて王党派と共和派の対立が続いた。1875年になって共和国憲法が制定され、第三共和制の基礎がすえられた。

 

ドイツ帝国の成立〉

1871年1月、ヴェルヘルム1世は、ヴェルサイユでドイツ皇帝の位につき、ドイツ帝国が成立した。帝国はドイツの諸邦で構成される連邦国家で、プロイセン王がドイツ皇帝を兼ねた。ビスマルクは宰相として約20年間、なかば独裁的な権力をふるった。

 

ビスマルク外交〉

・三帝(ドイツ・オーストリア・ロシア)同盟(1873年

・ロシア=トルコ(露土)戦争(1877年)

・サンステファノ条約(1878年

・ベルリン条約(1878年

三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)結成(1882年)

ビスマルクは、フランスを孤立させてドイツの安全をはかるため、クリミア戦争以来機能しなくなっていたヨーロッパの列強体制を再構築した。1873年ドイツ・オーストリア・ロシアは三帝同盟を結んだが、ロシアはバルカンで勢力拡大をはかり、オーストリアと対立するようになった。

 

1875年、オスマン帝国下のボスニア・ヘルツェゴヴィナで農民反乱が発生し、翌年にはブルガリアでも独立を求める蜂起がおこった。ロシアは蜂起側との協議を求めたが、オスマン政府は武力で蜂起を鎮圧した。そのためロシアは1877年、オスマン帝国に開戦して勝利し、サンステファノ講和条約によって、ブルガリアを保護下におくことを認めさせ、勢力拡大に成功した。

 

しかし、オーストリア・イギリスがこれに反発したため、ビスマルクベルリン会議を開き、列国の利害を調停した。その結果、サンステファノ条約は破棄され、新たに結ばれたベルリン条約によって、ロシアの拡大はおさえられた。これによりロシアは一時南下政策をひかえ、中央アジア・東アジアへの進出につとめるようになった

 

ビスマルクはまた、フランスによるチェニジアの保護国化に不満を持つイタリアを誘い、1882年にドイツ・オーストリア・イタリア三国同盟を結んだ。1881年に新たに結ばれた三帝同盟は、オーストリアとロシアの対立が激化して1887年に消滅。同年、ドイツ・ロシア間に再保障条約を結び、フランスを包囲する体制を続けようとした。

 

三国協商の成立〉

1890年、ドイツは対外行動の自由を広げるため、ロシアとの再保障条約更新を見送った。これに反発したロシアはフランスと露仏同盟を結んだ。イギリスは東アジアにおけるロシアの進出に対抗して1902年に日英同盟を結び、ドイツの挑戦に備えれ1904年フランスと英仏協商を成立させた。やがて、日露戦争に敗北したロシアが東アジアからバルカン半島への進出策に転じると、ドイツ・オーストリアと衝突するようになった。そのため、ロシアはイギリスと和解し、1907年英露協商を成立させた。イギリス・フランス・ロシアは、ドイツ・オーストリア・イタリアを共通の驚異とみて、協力してそれぞれの植民地や勢力圏を守ろうとした。この三国の提携を三国協商と呼ぶ。

 

③インド

インド帝国の成立〉

1858年、イギリスは東インド会社を解散し、インドの直接統治に乗り出した。1877年にはヴィクトリア女王がインド皇帝に即位し、総督は副王を兼任した。こうして、イギリス支配下カルカッタを首都にインド帝国が成立し、以降1947年の独立まで存続した。

 

④中国

辛亥革命と皇帝政治の終焉〉

孫文は、ばらばらだった革命諸団体の結集をはかり、1905年に日本の東京で中国同盟会を組織した。中国同盟会は、満州王朝の打倒、共和国の建設、貧富の差の抑制を内容とする「民族・民権・民生」三民主義を掲げて、革命宣伝や武装蜂起をおこなった。

 

1911年10月に武昌(湖北省)の軍隊のなかにいた革命派が蜂起し、辛亥革命が始まった。蜂起はたちまち各省に広がり、1ヶ月で大半の省が独立を表明した。革命軍は帰国した孫文を臨時大統領に選出し、1912年1月、南京で中華民国の建国を宣言し、アジア初の共和国が成立した。1912年2月の宣統帝(溥儀)の退位により、2000年以上にわたる中国の皇帝政治は終わりをつげた。

 

⑤日本

〈江戸時代〉

大政奉還(1867年)

〈明治時代〉

日清戦争(1894年)

日英同盟(1904年)

日露戦争(1904年)

ポーツマス条約(1905年)

韓国併合(1910年)