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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」第一次世界大戦(1914年〜1918年)

オーストリアボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合(1908)

オーストリア(ゲルマン系)ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(スラブ系)を併合

ボスニア・ヘルツェゴヴィナはかつてからスラブ系のセルビア編入を望んでいた

→スラブ系民族主義者の反発

 

②ロシアがバルカン同盟を結束させる(1912年)

※バルカン同盟(セルビアブルガリアモンテネグロギリシア

 

③第一次バルカン戦争(1912〜1913)

バルカン同盟がオスマン帝国に宣戦し勝利

 

④第二次バルカン戦争(1913)

第一次バルカン戦争後の領土の分配をめぐり、ブルガリアと他のバルカン同盟国が対立

ブルガリアの敗北

バルカン半島での勢力関係の変動は列強間の対立を悪化させ、バルカン半島「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。

 

サライェヴォ事件(1914年6月末)

オーストリア帝位継承者夫妻がサライェヴォでセルビア人の民族主義者に暗殺される。

スラブ系の民族運動をおさえる好機とみて、オーストリアはドイツの支持を得てセルビアに宣戦(第一次世界大戦の始まり)

→ロシアはセルビア支持を表明

三国同盟側(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商側(ロシア・フランス・イギリス)に従って参戦。

三国同盟側にはオスマン帝国ブルガリアが参戦

三国協商側(連合国)には日本(日英同盟の関係)、対戦後半にはアメリカ合衆国や、同盟側から離れたイタリアが参戦。

 

⑥ドイツが中立国ベルギーに侵入(1914年)

⇒さらに北フランスに侵入したがマルヌの戦いで阻止される

※以降、西部戦線では両軍とも塹壕にたてこもり、航空機・毒ガス・戦車などの新兵器を投入し一進一退を繰り返す戦況に。

⇒ドイツがタンネンベルグの戦いでロシア軍を破りロシア領内に進撃

※国土の広さやきびしい冬の気候のため決着の見通しが立たなかった。

 

ロシア革命(1917年)

ロシア軍は敗北を重ね、輸送危機も加わって都市への食料・燃料供給が低下

→国民の間で戦争継続に反対の声

⇒首都ペトログラードで大規模なデモ(1917年3月8日)

⇒労働者・兵士はソヴィエトを組織して革命を推進

→皇帝ニコライ2世は退位し、ロマノフ朝が消滅。帝政が崩壊。

立憲民主党などの自由主義諸党派の議員は臨時政府を樹立(二月革命

※ソヴィエトも存続したため、二重権力状態が続く

ボリシェヴィキマルクス主義を掲げるロシア社会民主労働党の多数派組織)の指導者レーニンが亡命先のスイスから帰国(1917年4月)

→7月にあらたに首相になったケレンスキーと対立

レーニントロツキーらは11月7日武装蜂起を指示し、政府を倒す十月革命

 

⑧ドイツとソヴィエトの講和

1913年3月、ドイツはソヴィエト=ロシア(ロシア革命政府)と単独講和を結び、西部戦線で攻勢に出たが失敗。8月から連合軍の反撃が始まる。

ブルガリアオスマン帝国降伏

オーストリア降伏

→ドイツも疲弊し11月11日に休戦協定に調印

 

ヴェルサイユ体制

パリ講和会議(1919年1月)

⇒ウィルソン大統領の十四カ条が講和の基礎

・秘密外交の廃止

・海洋の自由

・関税障壁の廃止

・軍備縮小

・ヨーロッパ諸国民の民族自決

・植民地問題の公正な解決

・国際平和機構の設立⇒国際連盟アメリカは上院の反対で不参加)

⇒ドイツとのヴェルサイユ条約調印(1919年6月)

・ドイツはすべての植民地を失う

・巨額の賠償金の支払い

パリ講和会議で決定したヨーロッパの新国際秩序をヴェルサイユ体制とよぶ

 

⑩ワシントン体制

ワシントン会議(1921〜1922)

アメリカ合衆国のハーディングの提唱で、合衆国・イギリス・フランス・日本など9ヵ国が参加するワシントン会議が開かれた。

※九ヵ国条約

・海軍軍備制限条約(主力艦の保有トン数比率を定める)

・中国の主権尊重・領土保全

※四ヵ国条約(合衆国・イギリス・フランス・日本)

日英同盟の解消

ワシントン会議で決まったアジア太平洋地域の国際秩序をワシントン体制という