manabilife

教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」戦間期〜民族運動とファシズム〜

第一次世界大戦後の民族運動

第一次世界大戦による列強の資本主義勢力の後退は、東アジアに空前の好景気をもたらした。また、合衆国ウィルソン大統領による民族自決原則の提唱、ロシア革命の成功などは、知識人や労働者に大きな影響を与え、東アジア各地では社会運動・民族運動が活発化した。

 

〈朝鮮〉

日本統治下の朝鮮では、1919年3月1日「独立万歳」をさけぶデモがソウルで始まり、朝鮮全土に広がった(三・一独立運動総督府は軍隊も動員して運動を鎮圧。

 

〈中国〉

・五・四運動(1919年)

1919年のパリ講和会議で中国は二十一ヵ条の取り消しや、山東のドイツ利権の返還を提訴したが、列国によって退けられた。これに抗議して、同年5月4日に北京大学の学生を中心に抗議デモが行われた。この動きは条約反対や排日の声となって波及し、幅広い層を巻き込んだ愛国運動として発展した(五・四運動)。そのため、中国政府もヴェルサイユ条約の調印を拒否せざるを得なかった。

 

蒋介石、北伐(1926年)

1921年、コミンテルの支援によって、中国共産党が結成された。一方、中国国民党を基盤に革命運動の推進を目指した孫文ソ連の援助を受け入れて顧問を招いた。1925年7月、国民党は広州で国民政府を樹立し、翌年、蒋介石の率いる国民革命軍が中国統一を目指して北伐を開始した。日本の謀略によって爆死した張作霖の子、張学良が日本に対抗するために国民政府の東北支配を認めたので、国民政府の全国統一は達成された。

 

〈インド〉

・ガンディーの非暴力・不服従運動(1920年

植民地政府の圧政に対し、非暴力を掲げて民衆の指導者として登場したのがガンディーだった。ガンディーは1920年国民会議派大会で非協力運動を提示し、民族運動をエリートだけでなく民衆も加わる運動へと脱皮させた。しかし、運動は非暴力を旨とするガンディーの思い通りには進まず、農民による警察官殺害事件が発生したため中止された。

 

インドネシア

オランダが支配するインドネシアでは、1920年インドネシア共産党が結成され、独立をとなえた。その運動が弾圧によってほぼ壊滅した後は、オランダから帰国した留学生が運動の実権を握った。1927年にはスカルノを党首とするインドネシア国民党が結成され翌年にインドネシアという統一された祖国・民族・言語を目指す宣言がなされた。

 

〈トルコ〉

オスマン帝国第一次世界大戦で同盟国側にたって参戦して敗れ、アラブ地域を喪失。1919年にギリシア軍がエーゲ海沿岸地域を占領すると、軍人のムスタファ=ケマルトルコ人の主権と国土をまもるために抵抗運動を指導し、トルコ大国民会議を組織した。1922年、彼はギリシア軍を撃退した後、スルタン制を廃止し、24年にはカリフ制も廃止した。1923年には連合国とのあいだにローザンヌ条約を結んで新しい国境を定め、治外法権の廃止、関税自主権の回復にも成功して、アンカラを首都とするトルコ共和国を樹立した。

 

ファシズム

ムッソリーニ

イタリアは戦勝国だったが領土拡大を実現できず、講和条約に不満を持った。一方、国民は戦後のインフレーションで生活を破壊され、政府への不信を強めた。このようななか、ムッソリーニの率いるファシスト党が勢力を拡大した。ファシスト党は危機の原因を左翼勢力の活動や議会制民主主義にあると考え、左翼の運動を暴力で攻撃し、強権的な指導者や国家が国民生活を統制して国民統合をはかることを主張し(全体主義、政府を攻撃した。1922年、ムッソリーニファシスト党による「ローマ進軍」を組織して政府に圧力をかけ、国王の支持で首相に任命された。

 

ヒトラー

ドイツは合衆国に次いで世界恐慌(1929年)の影響が大きく、1930年にはヒトラーを指導者にしたナチ党共産党などの反議会勢力が伸長して、国会は機能麻痺に陥っていた。ヒトラーはイタリアのファシズムなどに学び、ユダヤ人排斥を主張する人種差別主義、ヴェルサイユ条約破棄、民族共同体建設による国民生活の安定をとなえた。1932年の選挙でナチ党は第一党になり、1933年1月、ヒトラーは首相に任命された。

 

スターリン

ソ連では1924年レーニンが死ぬと後継者争いがおこった。1922年、共産党書記長になったスターリンは、ソ連一国だけで社会主義建設ができるとする一国社会主義を掲げ、世界革命を主張するトロツキーらを追放して実権を握った。1928年、重工業化の推進による社会主義建設を指示し、第一次五カ年計画を実行した。農業でも集団化と機械化が命じられ、集団農場(コルホーズ国営農場(ソフホーズ建設が強行された。