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教育・仕事・生活

「教科書で学ぶ世界史」太陽王ルイ14世

ルイ14世(1643年〜1715年)とは?

5歳で即位し、宰相マザランが補佐。マザランの死後、1661年から親政を開始。強大な権力をふるって太陽王と呼ばれた。朕は国家なりと語ったと伝えられる。

 

ルイ14世の治世

フロンドの乱(1648年〜1653年)

フランス最後の貴族・高等法院による反乱。1653年に終息。

 

ウェストファリア条約(1648年)

オーストリアの属領ベーメンの新教徒が、ハプスブルク家によるカトリック信仰の強制に反抗したのをきっかけに1618年から始まった三十年戦争は、宗教対立をこえたハプスブルク家対フランスの戦いに発展。三十年戦争は、1648年のウェストファリア条約終結した。これによりハプスブルク家は後退し、フランスはアルザスの領有権を獲得した。

 

ヴェルサイユ宮殿造営開始(1661年)

パリ南西の広大な敷地に20年以上の歳月をかけてつくったバロック建築の傑作。壮麗な宮廷生活が営まれた。

 

④財務総監コルベールによる重商主義政策

財務総監コルベール(在1665年〜1683年)は、東インド会社を再建し、特権マニュファクチュアを創設するなどして国内の商工業を育成。国家が経済に介入して自国を富ませる重商主義政策のもとでは、自国製品のために国外の市場が必要とされたことから、植民地を求めて度々侵略戦争をおこした

・南ネーデルランド継承戦争(1667年〜1668年)

オランダ戦争(1672年〜1678年)

・ファルツ戦争(アウグスブルク同盟戦争)(1688年〜1697年)

ルイジアナ植民地建設(1682年)

 

⑤ナントの王令廃止(1685年)

一般の国民は多額の戦費と宮廷費をまかなう税金の負担に苦しみ、またナントの王令の廃止によって、ユグノーの商工業者が大量に亡命したことで国内産業の発展も阻害され、財政が悪化した。

※ナントの王令

シャルル9世と母親の摂政カトリーヌ=ド=メディシスのもとでユグノー戦争という内乱(1562年〜1598年)が勃発。宗教問題よりも国家の統一を優先しようとしたブルボン家アンリ4世が王位につくと、アンリ4世は新教から旧教に改宗するとともに、ナントの王令でユグノーカルヴァン派の新教徒勢力)にも大幅な信教の自由を与えて、ユグノー戦争を終わらせた

 

スペイン継承戦争

ルイ14世ブルボン家)は、1659年のピレネー条約で、スペイン王フェリペ4世ハプスブルク家)の娘マリ=テレーズを后とした。

 

スペインのハプスブルク家が断絶したとき、ルイ14世の孫がフェリペ5世として王位を継いだが、ハプスブルク家オーストリアはこれに反対。イギリス・オランダなとど連合したオーストリアと戦い、ユトレヒト条約(1713年)によって、フランスとスペインは合同しないという条件でブルボン家スペイン王位継承を各国に認めさせた。

 

この代償として、イギリスはスペインからジブラルタル・ミノルカ島、フランスからニューフィンランドアカディアハドソン湾地方を得た。