【問題】
多国家支配を経て、複雑化した社会の統合をどうする?
【問い】
①その概念はどのような背景で生まれたか?
・イランの民族的宗教である「ゾロアスター教」の経典「アヴェスター」が編集され
ゾロアスター教が国教化される。
・「ササン朝」は「アケメネス朝」の正当な後継王朝を自任しており、民族的宗教であるゾロアスターを国教とし、イランの文化的伝統を本格的に復活させた。
②その問題はどのような背景で生まれたか?
・初期パルティアは「ヘレニズム文化」の影響を受けていた。
・BC1世紀頃、イランの伝統文化が復活し始め、国内ではギリシアとイランの神々がともに祀られるように。
③その概念によってどのような問題が解決し、その後どうなったか?
・「ゾロアスター教国教化」により、国内の統合が図られたが、ゾロアスター教・仏教・キリスト教が融合した「マニ教」がマニによって起こった(「マニ教」は異端とされ弾圧されたが、北アフリカや中央アジア、唐代の中国にも伝わる)。
【基礎知識】
・アレキサンドロス大王滅亡後、アジアの領土はギリシア系のセレウコス朝に引き継がれる。
・カスピ海東岸部に遊牧イラン人の族長アルサケスが「パルティア」を建国。
・BC2世紀半ばに「パルティア」がメソポタミアを併合。
・イラン人のアルダシール1世が、パルティアを倒して「ササン朝」を建国。
・「ササン朝」は7世紀半ばに、イスラーム勢力のアラブ人によって征服され滅ぶ。
【重要事項】
マケドニアの「アレクサンドロス大王」の死後、「セレウコス朝」に受け継がれたアジアの地では、「バクトリア」や「パルティア」が独立。「パルティア」がメソポタミアを併合したが、「ヘレニズム文化」と「イラン文化」が併存していた。「パルティア」倒して建国された「ササン朝」では、「アッシリア王国」の後継を自任し「イラン文化」を本格的に復興。イランの伝統的宗教である「ゾロアスター教」を国教とすることで、国家の統合が図られた。
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