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基本概念を学ぶ世界史_ギリシア世界⑥_民会

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【問題】

・下層市民の発言力が高まる都市の統合をどうする?

【問い】

①その概念が生まれた背景は?

ペルシア戦争終結後、下層市民の発言力の高まりを受け、ペリクレスは民会の制度を整備し、アテネ民主政を完成させた。

②その問題が生まれた背景は?

ペルシア戦争終了後、軍船の漕手だった下層市民だった無産市民の発言力が高まった。

・BC462年、民主派の指導者エフィアルテスは、貴族勢力の拠点であるアレオバコス評議会から政治的実権を剥奪。

・エフィアルテス暗殺後、民主派の指導者ペリクレスが実権を握る。

③その概念によってどのような問題が解決し、その後どうなったか?

アテネ市民団の中では政治的平等が徹底され、デロス同盟を通じて他のポリスにもアテネ民主政の仕組みが波及していった。

【基礎知識】

ペリクレスは選挙で選ばれる軍事の最高官職である10人の将軍に15年連続で選ばれた。

※民会

民会は年40回、市内西方のプリュクスの丘で開かれた。

・プリュクスの丘に残る民会議場の遺跡は半円形の扇形で収容人員1万3800人と推定。

・民会の定足数は6000人。

・五百人評議会は、民会の議事の準備を担当するとともに、財政、軍事の実務を担当する行政当局として広範な権限を握った(1部族50人×10部族)。

評議員は一般市民から選ばれた任期1年の役職で再任は許されなかった。

・議長団は五百人評議会から抽選で選出された。

・民会には成年男性市民であれば誰でも参加・発言でき、挙手による多数決で国家の制作が決定された(女子・在留外国人・奴隷は参加できず)。

・代議士制ではなく直接民主政

【重要事項】

ペルシア戦争後、下層市民の発言力が高まる中で、民主派のペリクレスは民会や民衆裁判所の仕組みを整備し、アテネ民主政を完成させた。アテネ民主政の仕組みは、デロス同盟を通じて周辺ポリスにも広がっていった。

【基本概念を学ぶ勉強法についてはコチラ】

manabilife.hatenablog.com

【参考教材はコチラ】