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基本概念を学ぶ世界史_ギリシア世界⑦_戦争指導者

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【問題】

戦争に勝つにはどうすればいい?

【問い】

①その概念が生まれた背景は?

ペリクレスの指導により、アテネが有利に戦争を進める。

・疫病によるペリクレスの死後、優秀な戦争指導者を見いだせぬままアテネ降伏

②その問題が生まれた背景は?

アテネ民主政VSスパルタ貴族制のペロポネソス戦争開戦

③その概念はどのような問題を解決し、その後どうなったか?

ペリクレスの指導により、戦争を有利に進めていたが、その死後、アテネの政界は混迷。BC404年に降伏し、和平を望む貴族派はによって民主政は一時的に転覆され、デロス同盟が消滅した。

・その後貴族派政権が誕生したが、暴政に転じたため、翌年に民主政が回復。

【基礎知識】

デロス同盟によって急速に勢力を広げたアテネに、ペロポネソス同盟の盟主スパルタは驚異を感じ、BC431年に同盟国を巻き込んだペロポネソス戦争に突入。

・民主政ポリスを中心とするアテネ側と貴族制ポリスを中心とするスパルタ側の2陣営に別れたが、各同盟国内でも民主派と貴族派の国内対立があり、地域紛争が広がっていった。

アテネペリクレスの指導のもと、海軍力とエーゲ海海上支配権を背景に有利に戦いを展開。

・疫病によるペリクレスの死後、デマゴーグとよばれる新興の大衆政治家たちが政治を握るとアテネの政界は混乱。

【重要事項】

海軍力と民主政によって団結した重装歩兵軍を擁するアテネであったが、優秀な戦争指導者である「ペリクレス」を疫病で失った後は政界が混乱。長期的な戦略や和平の機会を見失って迷走。無謀な大遠征は2年後に全滅。BC404年にアテネは降伏し、デロス同盟も消滅した。

【基本概念を学ぶ勉強法についてはコチラ】

manabilife.hatenablog.com

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