manabilife

教育・節約・投資

MENU

基本概念を学ぶ世界史_ギリシア世界⑧_傭兵

f:id:manabilife:20220227132916p:plain

【問題】

没落する市民戦士の穴埋めをどうする?

【問い】

①その概念はどのような背景で生まれたか?

・ポリス間の戦争のため、土地を失った市民が増加。貧富の差も拡大し、市民戦死が没落。

・市民軍に変わって、金で雇われて働く傭兵が流行

②その問題はどのような背景で生まれたか?

・絶え間ないポリス間の戦争の間に、ポリスでは土地を失って市民の身分から転落する者が増え始めた。

ペルシア戦争後、貨幣経済が流れ込んだスパルタでは貧富の差が拡大し、少数の市民に土地が集中。多くの市民戦士が没落。

③その概念はどのような問題を解決し、その後どうなったか?

・市民の没落による戦士不足の穴埋め。

・戦士共同体の原則が揺らぎ、市民団の団結が失われた。

 

【基礎知識】

ペロポネソス戦争に勝利したスパルタの強大化を嫌ってペルシアは一転してアテネを支援。

アテネは経済復興を遂げてギリシア屈指の商工業国に。

・BC4世紀半ばに中部ギリシアのテーベが将軍エパメイノンダスの指導のもと勢力を拡大し、スパルタに変わって一時的にギリシア世界の主導権を握る。

・将軍エパメイノンダス戦死後、テーベも衰弱。

アテネも覇権復活を目指すが同盟国の離反を招き実現せず。

・この間、ペルシアはギリシア人同士がお互いに争うように仕向ける。

 

【重要事項】

ペロポネソス戦争後のギリシアでは、ペルシアの画策の影響もあり、スパルタ、テーベ、アテネが覇権を争い戦争を繰り返していた。その影響で土地を失う市民が増え、貨幣経済の浸透も相まって貧富の差が拡大。市民戦士が没落していった。その穴を埋めうために傭兵が流行したが、結果として市民団の団結は失われ各ポリスは衰弱。ポリスを作らなかったマケドニアがスパルタを除く全ギリシア支配下に置いた。

【基本概念を学ぶ勉強法についてはコチラ】

manabilife.hatenablog.com

【参考教材はコチラ】