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基本概念を学ぶ世界史_ギリシア世界⑩_東西文化融合

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【問題】

ペルシア人地域の支配体制をどうする?

【問い】

①その概念はどのような背景で生まれたか?

※支配地域の反発を招かないよう、ギリシア諸ポリス同様、独立自治を維持し、東西文化の融合を通じて統合しようと考えていたと思われる。

・帝国の支配にはアケメネス朝の支配機構をそのまま継承。ペルシア人も積極的に登用した。

・東西文化の融合に努め、軍事・交通の拠点としてギリシア風の都市アレクサンドリアを建設し、地域文化とギリシア文化の融合が進んだ。

・ペルシア王の後継者を自称し、オリエント風の専制君主として振る舞い、自分を神格化してペルシア風の跪拝礼(きはいれい)を行おうとして、マケドニア人、ギリシア人の反感を買う。

②その問題はどのような背景で生まれたか?

アレクサンドロス大王は西は東西にまたがる大帝国を築いた。

③その概念にどのような問題が解決し、その後どうなったか?

・東西文化の融合によって、巨大帝国が維持されたが、BC323年、アレクサンドロス大王の死後、領土はディアドコイ(後継者)による争いの末、3分割された。

【基礎知識】

フィリッポス2世の子、アレクサンドロス大王は、ギリシア諸国の争いに干渉してきたペルシアを討つためBC334年、東方遠征に出発。

・BC333年、イッソスの戦いでペルシア王ダレイオス3世を打ち破ったのち、エジプトを征服。

ナイル川の河口に自らの名をつけた都市、アレクサンドロスの建築を命じる。

・BC331年、アルベラの戦いで勝利しペルシアを滅ぼす。

・さらに軍を東に進め、バクトリア・ソグディアナ・インド西北部まで征服した。

公用語には古代ギリシア語(コイネー)を採用。

【重要事項】

ギリシア諸国の戦争に干渉してきたペルシアを討つため東方遠征に出発したアレクサンドロス大王は、東西にまたがる大帝国を築いた。この大帝国を維持するために、アレクサンドロス大王は、「支配機構の維持」「東西文化の融合」「神格化」という方向性で大帝国の統合を試みた。その後32歳で急病のためこの世を去ると、後継者の争いによってマケドニアは3つの地域に分割された。

 

【基本概念を学ぶ勉強法についてはコチラ】

manabilife.hatenablog.com

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