【問題】
平民が力を増した共和制国家の統合をどうする?
【基礎知識】
・ローマは始めエトルリア人の王に支配されていたが、王を追放して共和制になった。
・ローマは特定の血族に属する貴族(パトリキ)と、中小農民の平民(プレブス)の2つの身分があり、明確な身分差があった。
・国家の最高官職コンスルは毎年貴族から選挙で選ばれた。
・コンスルを監視・指導して実質支配を握るのが元老院で最初は貴族の長老たちだった。
【問い】
①その問題が生まれた背景は?
・重装歩兵として平民が国防に重要な役割をはたすようになると、平民と貴族の身分闘争が起こるようになった。
②その概念によってどのようにして問題が解決したのか?
・BC5世紀全半に、元老院やコンスルの決定に拒否権を行使できる平民出身の護民官と、平民だけの平民会が設けられた。
・BC5世紀半ばに、慣習法を成文化した「十二表法」が制定・公開され、今まで貴族が口承によって独占してきた法知識が公開され、平民の権利向上に役立った。
・BC367年「リキニウス・セクスティウス法」により、貴族などの有力者による公有地の占有が制限されるとともに、コンスルのうち1人は平民から選ばれるようになった。
・BC287年「ホルテンシウス法」により、平民会の決議が、元老院の許可なしに全ローマ人の国法となることが正式に認められた。
③問題解決後にどうなったか?
・平民にも参政権が与えられると、一部の富裕な平民が公職者に加わって元老院に加わるようになり、新貴族(ノビレス)と呼ばれる新しい支配階層をつくるようになった。
【現代への活用】
国防を通じて影響力を持つようになった平民は、それまでの支配階級である貴族に対し反発を強めていく。平民の影響力を無視できなくなった貴族は、「護民官」「平民会」「十二表法」「リキニウス・セクスティウス法」「ホルテンシウス法」といった施策決定を譲歩せざるおえなかった。しかし、貴族と平民の身分差が解消される一方で、力を伸ばした一部平民が新貴族となり政局を支配。市民が政治に参加するギリシア民主政とは異なる統合形式を取るようになる。
身分闘争の行き着く先は、新支配層の誕生と新たな身分闘争というローマの経験は、頭に留めておきたい。
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