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基本概念を学ぶ世界史_ローマ世界⑥_国家を統合するための専制君主制の後ろ盾をどうする?

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【問題】

国家を統合するための専制君主制の後ろ盾をどうする?

【基本概念】

国教化

【基礎知識】

キリスト教化されたローマ帝国では、同一の正統な信仰をもつべく、正しいキリスト教の教義とは何かが熱心に研究された。

・ニケーア公会議(325年)

キリストと神は同質でありまったく等しいとするアタナシウス派正統とされた。キリストは神によってつくられた人間であるとするアリウス派は異端とされた。アタナシウスの説はその後三位一体説(父なる神・子なるキリスト・聖霊は3つでありながらも同一)として確立され、正統教義の根本となった。

 

・エフィソス公会議(431年)

キリストの神性と人性とを分離するという考え方のネストリウス派は異端と宣告された。(その後ササン朝を経て中国に伝わり、景教と呼ばれる)

 

・カルケドン公会議(451年)

キリストに神性のみを認める単性論が異端とされる。(その後、エジプトのコプト教会・シリア教会・アルメニア教会を形成して存続)。

 

【問い】

①その問題が生まれた背景は?

3世紀のローマ混乱期、専制君主制の強化によって国家統合を試みた各皇帝は皇帝崇拝儀礼を強制。唯一絶対神を信じるキリスト教徒は皇帝礼拝を拒み異端視され、64年のネロ帝による迫害や、303年のディオクレティアヌス帝による大迫害をはじめ、民衆主導の迫害も頻発していた。

しかし、キリスト教伝統宗教にはない新しい教義や組織をもっていたこともあり、奴隷・女性・下層市民など社会的弱者中心に帝国全土に広まり、やがて上層市民にも市民が見られるようになる。やがて、これを禁じては帝国の統一は困難と判断したコンスタンティヌス帝は、313年のミラノ勅令でキリスト教を公認した。

 

②その概念によってどのようにして問題が解決したか?

コンスタンティヌス帝と皇帝権を争っていた相手はキリスト教迫害に積極的だったこともあり、コンスタンティヌス帝が全国を統一するとキリスト教公認は全国に広がり、キリスト教の地位が確立され、皇帝の保護を受けて勢力を著しく伸ばしていった。

 

その後、392年、テオドシウス帝はアタナシウス派キリスト教を国教とし他の宗教を厳禁とした。


③問題解決後にどうなったか?

教会は皇帝の援助を受けて特に大都市で成長。一般信徒を指導・監督する司教・司祭などの聖職者身分が成立。教会の地位が高まるとともに、司教は一般社会や政治においても指導的役割をはたすようになった。

キリスト教の正統と異端との論争は続き、論争はしばしば教義上の議論のみならず、民衆を巻き込んでしばしば暴動に発展し、軍隊が鎮圧に乗り出す場面もあった。

 

【学びの活用】

当初迫害されながらも貧困層中心に指示されていたキリスト教コンスタンティヌス帝による公認、テオドシウス帝による国教化のいずれも、キリスト教迫害推進派勢力との対立があった事を考えると、貧困層(大衆)と司教などの新勢力」と「旧支配層」の闘いが背後にはったと考えられる。大衆を巻き込んだものが勝利する構造は、3世紀ローマではすでに専制君主の力による統合が成り立たないほど、大衆の影響力が相対的に高まっていた事を感じさせる。国教化に施策が、「皇帝主導なのか?」「司教などの新勢力主導なのか?」「大衆主導なのか?」今後も継続して学んでいきたい。