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高校世界史で学ぶメキシコ

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メキシコペソ投資をきっかけにメキシコを学ぶシリーズ第2段「高校世界史で学ぶメキシコ」です。

①メキシコ古代文明

アメリカ大陸にはベーリング海峡がアジアと地続きだった氷期に、モンゴロイド系(黄色人種)と思われる人々が渡来し定着。のちにヨーロッパ人から「インディオ」「インディアン」と呼ばれることになる先住民による文化が発展した。メソアメリカ(現在のメキシコと中央アメリカ)と南アメリカアンデス地帯では、トウモロコシなどを栽培する農耕文化が前2千年紀から発展した。

 

前1200年頃までにオルメカ文明がメキシコ湾岸で成立した。オルメカ文明の宗教遺跡として、高さ2.85mの巨石人頭像が発見されており、この文明は宗教色が強く、肉食獣であるジャガーへの信仰なども知られている。

 

ユカタン半島には、前1000年から16世紀にかけてマヤ文明が展開して、4世紀から9世紀に繁栄期をむかえ、ピラミッド状の建築物、二十進法による数の表記、精密な暦法マヤ文字などを持つ独自の文化を発達させた。

 

前1世紀にテオティワカン文明が生まれたメキシコ高原では、北方から進出してきたアステカ人が、14世紀にはテノチティトランを首都とする王国を作った

 

②スペインによる征服

スペイン王室は、「征服者」(コンキスタドール)の率いる軍隊アメリカ大陸に送り込み、コルテスが1521年にアステカ王国を破ってメキシコを征服した。スペインの植民地ではエンコミエンダ制(先住民の保護とキリスト教化を条件として、先住民とその土地に対する支配がスペイン人植民者に委託される制度)が導入され多くの場合、抵抗を続ける先住民を植民者が労働者として酷使した。また、ヨーロッパからの伝染病により、先住民の人口は激減した。

 

スペインは16世紀後半(フェリペ2世時代)にフィリピンを領有し、マニラに根拠地をおいて交易と支配を行った。マニラはメキシコのアカプルコガレオン船によって太平洋を超えて結ばれた。マニラからアカプルコへは中国産の絹や陶磁器、インド産綿布などが、アカプルコからは大量のメキシコ銀が運ばれた。ガレオン交易は1815年まで続いた。

 

③メキシコの独立

ナポレオンによるスペイン占領の影響でスペイン本国の支配が弱まったことをきっかけに、メキシコでは司祭イダルゴの蜂起などを経て独立が達成されたラテンアメリカでは1810〜20年代にかけて多くの国が独立したが、ラテンアメリカ諸国では、植民地生まれの白人であるクリオーリョの大地主層が独立運動の中心となった。彼らは独立後にイギリスを中心とする欧米諸国に原料や食料を輸出し、それらの国から工業製品を輸入する自由貿易政策そ採用したため、ラテンアメリカ諸国自体の工業化は大幅に遅れることになった。

 

アメリカ=メキシコ戦争

1840年代になると、アメリカ合衆国では西部の開拓を神から与えられた指名とする「明白な天明」説が流布されるようになり、45年にテキサスを併合すると、それに反対するメキシコとの対立が激化し、アメリカ=メキシコ戦争が勃発した。この戦争に勝ったアメリカ合衆国は、メキシコからカリフォルニアなどを獲得した。

 

メキシコ革命

アメリカ合衆国との戦争に破れた後、自由党のフアレス政権によって協会の土地所有を禁止する改革などが進んだが、保守党の反乱に乗じて1860年代にはフランスのナポレオン三世が内政に介入する事態が発生した。この干渉はアメリカの強い反対などもあって失敗に終わったが、その後、ディアス大統領のもとで鉱山開発などによる近代化が進められた。しかし、政権が長期化して独裁的になったため、1910年に自由主義者のマデロが呼びかけてメキシコ革命をおこし、のちに農民指導者サパタらが参加しディアスを追放した。革命後も、政変が続く中で、合衆国のウィルソン政権が合憲的な政権の樹立を要求して海兵隊を派遣したが、メキシコ側の強い反発をまねき撤退した。メキシコは1917年に土地改革や勤労者の権利、政教分離、大統領権限の強化などをうたった民主的な憲法が成立された。

 

第二次世界大戦後のメキシコ

ラテンアメリカ諸国は第二次世界大戦後もアメリカ合衆国の強い影響下におかれ、1947年、南北アメリカ地域の共同防衛と相互協力を約束したリオ協定が採択され、1948年、合衆国が主導するパン=アメリカ会議で米州機構OAS)の結成が合意された。

 

メキシコを含む途上国では、低賃金によるコスト削減を誘い水に外国企業を誘致し、労働集約的な工業品を先進国に輸出する路線が拡大していった。この新興工業経済地域NIESへの動きは、韓国・台湾・香港・シンガポール・ブラジル・メキシコなどからはじまり、タイ・マレーシア・中国・ベトナムなどに波及していった。しかし、1973年と79年の石油危機などの影響をうけ、1982年にはメキシコは深刻な債務危機に陥った。

 

アメリカ合衆国は西欧経済が排他的ブロック化に向かうものと警戒し、カナダとの間に1988年に自由貿易協定を締結し、94年にはメキシコも加えて、北米自由貿易協定(NAFATA)を発足させた

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